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こんにちは。元小学校教員のぽん(@ponlog_)です。
現在は、会社員(エンジニア)とフリーWEBライターという二足のわらじで活動中です。
今日は、私が小学校教員として働いた3年間を振り返って、働き方改革がどのように進んでいったのかを振り返ってみようと思います。
2017年(教員1年目)
1学期
ずっと目指していた教員になり、心躍らせていた1年目。当時は、働き方改革なんてほとんど話題に上がっていなかったような気がします。
当時の私は、出勤時刻が7:00~7:30で退勤時刻は19:30。
タイムカードはなく出勤簿に押印する形で勤務が管理されていました。もちろん自分の勤務時間は把握していません。
1日12時間以上働くのが当たり前でヘトヘトの毎日。
公開授業の前日などは先輩教員からの熱い指導で23:00を過ぎることもあり、半泣きで帰宅したこともありました。
でも、初任者の私よりも長時間働いている先生がたくさんいて、何も声をあげることはできませんでした。
というよりも、目まぐるしい毎日の中で「働き方改革」について考える暇もなかったような気がします。
夏休み
お盆の時期に夏季休暇をあてて旅行をしようと考えていましたが、ベテランの先生に「家族で用事があるから日直を代わって欲しい」と頼まれ、お盆真っ只中日直に…
「若いから仕方ないのかな」と思った記憶があります。
5日の夏季休暇を連続して取ることはできず、ポツポツと休みをとりました。
2学期、3学期
特に大きな動きもなく、1学期と同じように忙しい毎日が過ぎていきました。
教員の時間外労働を心配した事務の方が職員会の中で、
「タイムカードはありませんが、スケジュール帳などで自分の勤務時間を管理した方が良いと思います。」と発言されました。
この時に初めて、
ぽん
と言う感覚を手に入れます。(遅い)
2018年(教員2年目)
1学期
ついに校長が動き始めました。
校長先生
今は冷静に「いや、定時1時間以上過ぎてるじゃん…」と思いますが、
当時の私は、「毎週1日は気兼ねなく18時に帰れちゃうの!?嬉しい!」と思っていました。
ぽん
しかし、この約束は守られることはありませんでした。
「退勤時間だけ設定されてもね」
「そもそもの仕事を減らして欲しいよね」
「水曜に早く帰ったら木曜にもっと大変になるじゃん」
水曜日の職員室は、この制度を生み出した校長の悪口でいっぱいに…
結局、ノー残業デーは形だけのルールになってしまいました。
夏休み
当時私が働いていた自治体では、この年からお盆の期間が学校閉庁日となりました。
そのため、お盆の時期は強制的に夏季休暇を充てることになりました。
ぽん
ちなみに私はこの頃結婚したので、夏季休暇と併せて結婚休暇(5日間)も取得しました。そのため、8月はほとんど出勤していません。
それでもなんとかなりましたので、2年目の先生方、8月は休んでも大丈夫だと思われます。
私が取得したことのある休暇についてはこちらの記事にまとめています。
2学期
学校の働き方改革に大きな動きがありました。
なんと、タイムカードが導入されたのです。
ただ、タイムカードと言っても、カードをかざすようなハイテクなものではなく、教員がパソコンで出勤時刻と退勤時刻を手入力するシステムのことです。
前年度に事務の方から言われた言葉を忠実に守り、勤務時間を手帳に記録していた私は
「やった!これからは自分の勤務時間のデータがデジタル化されるぞ!」
と喜んでいました。
ただ、タイムカードの導入は予想外の大不評でした。
「超過勤務が80時間超えちゃったら面談でしょ?めんどくさい。少なく申請しよう。」
「土日に出たのはつけなくて良いよね?」
「自分で記入するのめんどくさい。適当につけたら良いよね?」
私は本当に驚きました。
こんな気持ちでいっぱいでしたが、まだ2年目そこらのペーペーにはこんな反論できるわけがありません。
グッと堪えて、1人まじめに労働時間を正直に申告する毎日でした。
(この頃の時間外労働は月に40~50時間ほどでした)
3学期
2学期から導入されたタイムカードですが、月末に適当な数値をまとめて記入したり、80時間に達さないよう数値を改竄したりする先生たちが後を立ちません。
「めんどくさい」と全く記入をしない先生もいたそうです。
そのため、タイムカードへの記入が厳格化され、記入漏れがある人は厳しく指導されるようになりました。
有休をほとんど取得していない教員が、校長から有休取得を促される場面も見られました。
働き方改革の流れが少しずつ来ているなと思いました。
一方私は、1学期末に行ったストレスチェックで引っ掛かっていたらしく、お医者さんとの面談の案内を頂きました。
もうこの頃には残業時間も減り、元気になっていたのでお断りしました。
残業を減らすために実践していることはこちらの記事に書いています。
2019年(教員3年目:教員最後の年)
1学期
初任者から2年勤めた学校から異動になりました。
異動先の学校も同じようにタイムカードで勤務時間が管理されていました。
前任校よりも早く帰る風土のある学校で、安心したのもつかの間、ことあるごとにボランティア労働が気になりました。
・交通安全指導
・PTAの会
・地域のお祭りの見回り
・児童の大会や表彰式の引率
「うーん、何もない日は早く帰れるけど、当たり前のようにボランティアで動員されるなあ。でも異動したばかりだから言いづらいなあ。」
と、モヤモヤの毎日でした。
だいぶ学校に慣れてきた頃、意を決して校長先生に
「勤務時間外に働いた時って、何か振替のようなものは頂けないのでしょうか?」
と尋ねると
校長先生
と突っぱねられてしまいました。
2学期
少し肌寒くなってきた頃、驚愕のプリントが机の上に置かれていました。
「7:40~8:10 マラソン練習」
私たちの勤務時間は8:15からなのに、勤務時間外にマラソン練習が設定されていました。
我慢の限界だと思った私は校長先生に「時間外の勤務はおかしいのではないか」と直談判しにいきました。
すると、
校長先生
と言ってくれ、ホッとしました。
そして、職員会の時に、
校長先生
と私が直談判したことは伏せて全体の場で提案してくれました。
すると、他の先生からは反発の嵐。
「子どもが練習したいのに、朝たった30分早く来ることもできないんですか?」
「働き方改革ってやりたい人もやらせないってことですか?」
「やりたいクラスは勝手にやって良いですよね?」
(校長先生にちょっと悪かったな…)と心の中で思いながら苦笑いすることしかできませんでした。
結局、朝のマラソン練習はなくなりませんでしたが、回数が縮小されました。
「声をあげることって大切だな。」と感じた出来事でした。
そして、本当に少しずつですが、
「児童を引率した先生は振替をとってください。」
「定時を過ぎたので、急ぎでない議題は来週に回しましょう。」
このような会話が飛び交うようになってきたのも事実です。
ぽん
3学期
今年度の行事を振り返り、来年度の計画を立てる時期。
例年であれば「来年も同じように!」という流れだったかもしれませんが、働き方改革の波が来ているということもあり、以下のような会話が職員会の中で多く聞かれました。
「来年度は縮小しましょう!」
「この行事は廃止で良いのではないでしょうか。」
「これっていりますかね?止めませんか?」
話し合いの中で、いくつかの業務が削減されました。
「こうやって少しずつ働きやすくなっていくのかな…」と思いましたが、私の教員人生は3年目の3学期で終了したのでした。
まとめ
働き方改革は、2017年4月〜2020年3月の間だけで、大きく進んだと感じています。
2020年4月から私は学校現場にいないので分かりませんが、今はもっともっと進んでいるかもしれません。
先生たちの労働環境が改善され、働きやすい学校になることを願っています。